第46回 ウズベキスタンとキルギスの移動 前編【嵐よういち・海外裏ロード】
タシュケントからサマルカンド
昨年10月に『野宿』 という26歳の男と、中央アジアのウズベキスタンとキルギスを旅してきた。どちらの国も先進国のように交通網が発達していないので、移動が少し面倒で、俺は行く前からいろいろ調べまくっていたが、その移動手段を少し報告したい。
タシュケントは人口240万人のウズベキスタンの首都で、都会の中にソ連的な建造物が混じり、治安も思ったよりもいいので好きになった。
タシュケントの中心街、後方はウズベキスタン・ホテル
サマルカンドはウズベキスタンを代表する観光地だ。そこまでタシュケントから移動することにした。
移動手段は列車か、シェア・タクシーという名の、タクシーを他の人とシェアする乗り物がある。
通常であったらわずか2時間で到着し、料金も5万スム(約600円。1スム、0.014円で計算)で、快適な列車がいいのだが、宿泊先のホテルから微妙に鉄道駅まで距離があるのと、せっかくだからボッてくるシェア・タクシーを経験したかったのでそちらを選択した。
囲まれて威圧される
宿からは歩いて地下鉄駅に行き、そこから一駅のオルマゾール駅に到着。地上にでると、凄い数の呼び込みの人たちがいる。俺が「サマルカンド」と言うと、人相の悪い男たちが7,8人出てきて囲まれる。
「ロシア語話せるか? 」
「ニェット(NO)」
そんなやりとりをしていると英語を話す男がやってきて、スマホ片手に交渉が始まるが、「15万スム(約2,100円)だ」とか「一人40USドル」だと、どいつもこいつも露骨にボッタくってくる。皆、仲間なのか、協定を結んでいるのか交渉しても値段がなかなか下がらない。
これは少し長期戦になるかなと思い、若い『野宿』にしつこくやらせると、やっと一人7万スム(約980円)にまで下がった。
このように、タシュケントからサマルカンド間の移動は快適さ、値段を考えると列車の方がいいのだ。シェア・タクシーの方も値段を下げればいいと思うのだが、外国人は高い金でも問題ないと思われているのかもしれない。地元の人も列車を利用すればいいじゃないかと思ったが、乗ってわかった。
シェア・タクシーはサマルカンドまではダイレクトには行かず、途中下車をしたり、田舎町にわざわざ寄って降ろしてもらうことが出来るので、交通の便が悪い場所の人や、鉄道駅から逸れている人には重要な交通手段のようだ。
サマルカンドに移動中の休憩。地元女性と『野宿』
ちなみに俺たちはサマルカンドまで車で5時間もかかったが、中間地点でなぜか運転手の弟の車に乗り換えさせられ、最後は中途半端な場所に降ろされたので、次回は絶対に利用しないと心に誓った。
サマルカンドからブハラ
『ブハラ』は古代から栄えていたオアシス都市だ。1993年にブハラ旧市街がユネスコの世界遺産に登録され、世界中から観光客が訪れている。サマルカンドからそこまでは列車で移動することに決めていた。
サマルカンドの街中にチケット・オフィスがあるのでパスポートを提示して6万スム(約840円)を払う。聞いていたよりも高いと思ったが手数料も入っているのだろうと何の疑いもなく購入。
サマルカンド レギスタン広場。観光客でいっぱいです。
当日、サマルカンド駅に行くが、入口でチケットとパスポートのチェックがあり、それがないと駅舎内に入れないようだ。
サマルカンド駅
日本人だらけ
ホームには30分前に着いていないといけないので待っていたが、驚いた。そこは日本人だらけで、既視感に襲われた。思えば20年前の海外ではたくさんこのような光景が見られたが、最近、中国人がそれに取って変わって、このように日本人だらけは懐かしい。
そこには4団体のツアー客、カップル、バックパッカー、東京でその辺に歩いていそうな普通の人たち。そして韓国人、白人にツアー客など、珍しく、たまたまだと思うが、中国人の団体は目にしなかった。
あっという間に到着
電車に乗り込み、席に座ると、なにか違和感がある。座席が想像以上に広く、地元のビジネスマンがやたら目につくのだ。どうやら普通席が満席だったようで、勝手にビジネスシートにされていたようだ。
それでもわずか840円なので別に気にすることでもない。列車は綺麗だし、時速200キロで飛ばし、かなり快適で、俺は文庫本を読んでいた。
列車はどこかの駅に到着した。俺たちは勘違いしていたようで、この駅、人がやたらと降りるなと思っていたら、全員降りたので、これはオカシイと思い、俺たちも荷物を慌てて整えて降りることにした。勝手に到着まで4時間位かかると思っていたのだが1時間半で到着してしまった。
ブハラからヒヴァ
ウズベキスタン旅行の計画を立てる段階から古都・ヒヴァに行きたかった。その街には赤茶色の城壁があり、非常に神秘的な姿があるのだ。ヒヴァは紀元前から城郭都市として発展し、インド、ペルシャ、中国などを結ぶ国際交易の中継地点、まさしく『シルクロードの十字路』の役割を果たしてきた。
ブハラからヒヴァにはシェア・タクシーやバスを乗り継いでいく方法があるが、時間もかかるし面倒である。旅行会社で車をチャーターしてくれるが値段が高い。
そんな時に宿が同じだった幸子さんという女性が「私の予約した車に一緒に乗って行けばいいじゃないですか? 」と提案してくれた。彼女は日本の旅行代理店で送迎を全部手配していた。
車が到着して、60歳位のドライバーと交渉。彼からすれば、俺と『野宿』から約800円ずつ、計1600円を臨時収入としてもらえるわけだから文句ないであろう。
ヒヴァに移動中の景色。 砂漠ばかりの景色で次第に飽きてくる。
俺らにしても一人40ドルは払う覚悟だったのでちょうどいい。
車は砂漠が続く道を5時間走ると、ヒヴァの宿に到着した。
続く
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