【エロ偉人伝】小林一茶~死の直前までヤリまくり!五十歳を過ぎてからセックスに目覚めた超遅咲きの性豪

某調査機関が2016年に行ったアンケートによると、20代男性の約50%、30代の約40%が「交際経験なし」だそうで。
こういう“アンケート調査”を見ると、記事のために意図的に対象者を絞っているんじゃないの? と、穿った見方をしてしまう喜助です。
さて、今回取り上げるのは
小林一茶。
交際経験どころか、五十過ぎまで童貞だったという魔法使いなエロ偉人です。
小林一茶といえば江戸時代を代表する俳人ですが、二万点を超える俳句が評価されたのは没後、明治時代になってから。
私生活でも家族や女性に恵まれない不遇の日々を送っています。
長野県の農家に生まれ、3歳で実母と死別。
継母とはソリが合わず15歳で家出すると、各地を転々としながら俳句を続ける貧乏生活。
父親が亡くなったときには、遺産を巡って腹違いの弟と12年にわたる相続闘争。
ようやく和解して遺産を手に入れたものの、故郷に戻れたのは50歳のとき。
当時は人生50年、もう終活の時期に入ってます。
が、しかし!
ここからが小林一茶のエロライフの始まりだったのです。
52歳にして迎えた初花嫁
お相手はなんと28歳。
当時の風潮からすれば熟女扱いだったのかもしれませんが、まだまだピチピチ、女ざかりのお年頃。
すっかりセックスにハマって、連日連夜ヤリまくり。
それまでのストイック生活で溜まりに溜まった性欲が大爆発しました。
なんでそんなことが分かるのかと言うと、自身のセックスライフを克明に記録していたから。
秘密のセックス日記が後世に発見されちゃった形です。
して、その内容は……。
『墓参り行った。雪が降った。セックスした』
『菊(嫁の名前)帰ってきた。夜3回した』
『お隣さんから朝ご飯をご馳走になった。4回した』
『3回した』
『菊帰ってきた。夜5回』
『早朝1回した』
セックス覚えたてとは言え十代や二十代じゃありません。
五十過ぎてます。
「夜」「早朝」などと書き分けているので、無印はおそらく「昼」。
一茶はこの嫁との間に三男一女をもうけていますが、記録を見ると、妊娠中もおかまいなしにヤリまくっています。
なんたる精力。性豪の名に恥じない男っぷり。
これで体を壊した、というわけじゃないでしょうが
一茶は58歳のときに脳卒中で倒れ半身不随と言語障害に。
嫁さんも病気で亡くなってしまいます。
が、しかし!(2回目)
一度覚えた女の味は忘れられないとばかりに、62歳で再婚→3ヶ月で離婚→64歳で再々婚という、前半生が嘘のようなアグレッシブさ。
その間、火事で自宅が焼けて土蔵に住むはめになったのですが、そこでもセックスは欠かさなかったご様子。最後の嫁との間にも子供を作り、65歳でこの世を去りました。
江戸時代にも風俗はあったし、夜鷹(よたか)と呼ばれる売春婦はチップ込みで一回100文(3,000円くらい)と非常にリーズナブル。一般庶民でも十分遊べる額です。
とはいえ、もしも一茶が適度に遊んでいるような男だったら、いくら初嫁でもあそこまで爆発していなかったかと。
まさに超大器晩成型エロ偉人でございます。
本日のエロ偉人
名前:小林一茶(1763年~1828年)
性別:男
国籍:日本
日課:セックス記録
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(文:喜助)
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