【エロ偉人伝】松永久秀~日本で初めて爆死した戦国武将は、戦場に女を連れ込んで合戦中もSEX三昧!?
前回、『精力増強アイテムは紀元前から開発されていた』と紹介しましたが、同じように大昔から現代に至るまで不動の人気を誇るエログッズに「セックスのハウツー本」があります。
たとえば戦国時代の武将たちの間では
『黄素妙論(こうそみょうろん)』というハウツー本が大流行していました。
中国で発刊されたものを、医師の曲直瀬道三(まなせどうさん)が和訳・アレンジしたものです。
その内容は、「ムード作りが大切」とか「無理やりはダメ」といった基礎知識編から、体位の解説、テクニックに関するアレコレまで様々。
中には「年齢別・理想の射精回数」なんて指南も。同書によれば“20代なら3日に一度までOK” “50を過ぎたら半月に一度が目安”だそうです。
なんだか少ないですよね。ヤリすぎは身体に毒よ、ということでしょうか。
この『黄素妙論』
もともとは道三と親交の深かった、松永久秀が譲り受けたものでした。
現在の奈良県に相当する大和国の大名で、松永弾正(まつながだんじょう)の別名でも知られる戦国時代の武将です。
1510年生まれとされていますが、正確な生年、出生地は不明。
そのため、おそらく低い身分の出身だったのではと推測されていますが、持ち前の才能とバイタリティを発揮してぐんぐん出世。
主君の子息と同等の扱いを受けるほどの地位を得ました。
しかしその後は、仕えていた三好家の乗っ取り、室町幕府第13代将軍・足利義輝の暗殺、さらには、あの織田信長に反逆して敗れ、最後は爆死という方法で自害したという、豪快でヒールな人生を歩みます。
某シミュレーションゲームでは君主への忠誠度を表す「義理」のパラメーターが低すぎて「松永久秀の裏切りは趣味」とネタにされるほど。
斎藤道三、宇喜多直家と並んで、日本の戦国時代の三大悪人扱いされています。
そんな松永久秀は
「戦場に美女を帯同させて合戦の最中も楽しんでいた」という逸話があるほどの性豪ですが、それというのも『黄素妙論』を愛読していたからでしょう。
知識を得たら試したくなるのは男のサガってやつです。
ただ、このハウツー本、冒頭で「養生は日々の飲食管理と男女の交合」「暴飲暴食しないで適度に交合すれば病気知らずで長生きできる」というような事が書かれています。
健康・長寿のススメですね。もしかしたらこちらがメインテーマなのかもしれません。
人生50年と言われた戦国時代、いつ命を落としてもおかしくない武将たち。
自分が飼っていた鈴虫が三年生きた(平均一年)ことを理由に、「125歳まで生きる」と宣言した松永久秀だけに、長生きへの執着は人一倍強かったとみえます。
セックスは、あの当時の、彼なりの健康法だったのかもしれません。
享年68。自害に追い込まれなければ、まだまだ戦国の世を掻き乱していたと思います。
本日のエロ偉人
名前:松永久秀(1510年~1577年)
性別:男
国籍:日本
日課:セックス指南書の実践
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(文:喜助)
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