【エロ偉人伝】マハトマ・ガンジー~性欲が強すぎて大失態!インド独立の父はセックスのことしか考えていなかった!?
皆さんご存知、ガンジーさん。
本当はマハトマ・ガンディーらしいのですが、ここではガンジーとしてご紹介。
インド独立の父として知られ、暗殺によって生涯を閉じた、偉大な宗教家であり政治指導者です。弁護士でもあります。そのスペックも功績も偉人中の偉人。
しかし少年期のガンジーはどちらかと言えば悪童、頭の中もエロ一色だったようです。
のちの“偉大な指導者”の姿とは裏腹に、特に頭が良いわけでも社交的でもない内気な少年だったというガンジー。学校の帰り道に誰とも話したくなから、ダッシュで家に帰っていたというエピソードもあります。
そのうえ素行も悪く、ヒンドゥー教で禁じられている肉を喰らったり、タバコ代欲しさに召使いの金をくすねていたとか。
そんなガンジーは13歳のときに同じ年のカストゥルバと結婚。
ずいぶん若いですが、これは幼児婚(児童婚)というインドの習慣によるもの。親が決めた相手と、7歳のときから彼女と結婚することが決められていたのです。
13歳といえば思春期真っ盛り。
女の子の前で格好つけて、ジャンプとお菓子の間にエロ本挟んで、女体とは何ぞや?と独眼鉄ばりの自問を投げかけ……あ、これは筆者の場合ですがね、13歳の小僧なんて世界共通そんなもんでしょう。
ガンジーだって、その頃は“フツーの少年”だったわけです。当然のように、セックスに溺れました。
自伝によれば「学校にいるときも彼女のことを想ってしまう」「夜になればまた会えると思うと、じっとしていられない」と、四六時中、奥さん(とセックスのこと)を考えていたとか。
そして家に帰ってからはセックス三昧。
学校で学んだことを奥さんにも教えていたのですが、もう顔を見るだけで欲情してしまい、気が付けばセックス、セックス、セックス……。
そんな日々にさすがに罪悪感を感じ始めていた16歳の頃。
父親の体調が悪くなったので、みんなで交代で看病することになりました。ガンジーが看病を担当することになった、ある日の晩。休憩時間に奥さんとまったり過ごしていたら、またまたチンコがムラムラと……。
「ちょっとだけ、ちょっとだけ!」と言ったかどうかは知りませんが、このセックスは“ちょっと”どころか数時間に及ぶロングコース。
父親はその最中に亡くなってしまい、看取ることができなかったのです。
自分の性欲の強さを悔やんだガンジー。
彼は36歳のときに禁欲を開始しますが、それにはこのときの経験が大きく関係しているとも言われています。もっとも、それまでは溢れる性欲を抑えられず、4人の子宝にも恵まれておりますが。
禁欲、断食、清貧、純潔を実践し、非暴力・不服従運動を貫いた高潔な偉人。
そんなイメージがあるガンジーも、我々と同じくエロいことが大好きだったんですね。
ちなみに晩年、若い女の子とベッドを共にして「私は手を出しません」と禁欲主義を世間にアピールし、信者から批判されたそうです。
本日のエロ偉人
名前:マハトマ・ガンジー(1869年~1948年)
性別:男
国籍:インド
日課:勉強とセックス
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(文:喜助)
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