【タイの屋台飯と現実と俺が思うことと】新連載第1回 タイ料理はガパオで始まりガパオで終わる?
ガパオ炒飯

20年前だと、タイ料理というと一般的な日本人の知識は「トムヤムクン」くらいしかなかった。しかし、今はどうやら「ガパオライス」が人気らしい。タイ在住17年目の俺は日本の流行にやや疎く、ガパオライスはかなり浸透した名称だと知人から聞いている。

豚ひき肉のガパオライス

豚ひき肉のガパオライス。タイ屋台の盛り方の現実

確かに、ガパオライスを初めて食べた1998年のバンコク・カオサンの屋台で、そのおいしさに度肝を抜かれた。あれから20年経った今も、やっぱりガパオライスを口にする。

「ほぼ日刊ほいなめ新聞」読者の皆さん、初めまして。タイ在住ライターの高田胤臣(たかだ・たねおみ)です。俺のことを知っている方がいたらうれしいが、タイというマニアックなジャンルに特化しているので、知名度はそんなに高くないでしょう。

簡単に自己紹介すると、98年に初めてタイを訪れ、2002年からバンコクに暮らす東京出身の41歳おっさんである。04年から死体をかたづける「報徳堂」という華僑慈善団体にボランティアとして参加し、11年からライターに。18年7月現在、タイや東南アジア関連の書籍を6冊、電子書籍多数、ニュースサイトなどでも執筆している。

そんなこんなで今回、ほいなめ新聞で執筆チャンスをもらい、そうそうたる執筆陣の中で俺がどんな記事を書き続けられるかを考えた時、「とりあえずタイ料理じゃないか?」と思い至った。料理家ではないので専門的な話ではなく、その料理にまつわるちょっとしたウンチクやタイ語、思い出話なんかを紹介していくことで、在住者が見る「生のタイ」が分かるのではないかと。

というわけで、連載1回目はガパオライスに関する話をしていきたい。

タイにはそもそもガパオライスなんてない!?

ガパオライスはガパオ=ホーリーバジルと肉、それにオイスターソースやナンプラー(魚醤)を中心とする調味料を強火で一気に炒めたものをご飯にかける料理だ。タイ料理の定番中の定番と言ってもいい。タイ人が言うガパオライスの代名詞は「思いつかない料理」である。

タイは東南アジアの中でも、特に屋台が発達した国。バンコクのタイ人向けアパートは屋台の外食が前提で、家具やベッドがついているのは当たり前なのに、キッチンはない。麺料理など専門屋台がある中、頼めばなんでもつくってくれる「タームサング」という屋台や食堂も多い。タームとは従うという意味で、サングは注文。客のオーダーのままに料理をつくってくれる。

タイの食堂

タイの屋台や食堂は客の好みに応じて料理をアレンジしてくれる

タイ人しか来ないタームサングにはメニューがなく、店先に並んだ食材を見て何ができるか客自身が判断し、料理名や調理方法を告げる。ただ「これが食べたい」という気分でない時もある。そんな時に無難なのがガパオライスというわけで、何も思い浮かばない時に頼む料理という代名詞があるのだ。

豚三枚肉のから揚げで作ったガパオライス

豚三枚肉のから揚げで作ったガパオライスを持ち帰り用に

日本人が「本場のガパオライスを」と思っても、「ガパオライス」では注文は通じない。ガパオライスはタイ語では「カーウ・パット・ガパオ」となる。言い方はいろいろあるのだが、基本はこの言い方で、カーウがご飯、パットが炒める、ガパオは正確には「グラパオ」だが、タイ人の発音がガパオに聞こえるのでそこは問題ない。

しかし、「ガパオライス」と言ったところで、店主にはいっこうに伝わらないだろう。なぜなら、最も大切な単語である「パット」が抜けている点が問題だと俺は思う。パットが抜けているのは、例えばキャベツ炒めを「キャベツをつくってくれ」と言っているようなものだ。だからパットは外してはいけない。

また、「パット・ガパオ」だけだとご飯がない炒めものの一品料理が出てきてしまうので、やはりタイでガパオライスにありつきたければ、「カーウ・パット・ガパオ」と言うべきだ。

ちなみに、日本のガパオライスでは、目玉焼きが標準装備されているような画像をよく見かけるが、タイではオプションである。目玉焼きは「カイ・ダーウ」といい、直訳では星の卵という意味になる。ちょっとだけ英語が通じる屋台で、タイの文法に倣って「エッグ・スター」と冗談で言ってみたことがあるが、ちゃんと目玉焼きが出てきた。フライドエッグの方が通じないようだ。

初ガパオライスが史上最高

俺が初めてガパオライスを食べたのは98年1月、初めての海外旅行で、初めての屋台料理を食べた時だ。カオサン通りの裏手にあるランブトリ通りの屋台で手書きの日本語メニューにあった「バジル炒めご飯」に興味を持ち、たった25バーツ(現在のレートで約80円)と安くて、しかも濃厚な分かりやすい味で感動した。

カオサン通りとは、世界的に有名なバンコクの安宿街で、90年代から急激にバックパッカーらに注目されるようになった。当時のバンコクは世界で最も航空券が安いとも言われ、貧乏旅行者らが経由地、あるいは移動の拠点にしていた。

当時は外国人しかおらず、麻薬などもはびこる混沌とした通りだったが、いつの間にかタイの若者らのプレースポットになり、今や昔の面影はカオサンにはない。最近は日本人バックパッカーはあまり寄りつかないほどになっている。

最近のカオサン通り

最近のカオサン通り。20年前はこんなに明るくなかった

当時のランブトリには日本語メニューを置く人気屋台が2軒連なっていて、1軒はあまりかわいくない姉妹らが経営するがおいしい屋台、一方は「トンの店」という店名で、トンさんの17歳の奥さんがものすごくかわいいが味はそこそこだった。

俺の初ガパオライスは姉妹の方だった。アツアツのガパオ炒めに冷や飯という、これぞ屋台飯だったが、タイの全てに感動していた当時は「ここは天国か?」と思わせるほどの美味であった。

あの感動は今でも忘れてはいないものの、慣れてくるとほかのしょうもないバックパッカーらと同じように、俺もまたトンさんの奥さん目当てで通う店をシフトした。ただ、翌年かさらに数年後だか記憶が定かではないが、トンさんがバイク事故で死亡したという話が出た。

言われてみれば、トンさんは晩年、店の金で遊びほうけているのか、ほとんど見かけなくなった。そして、ノーヘルメットで転倒し、この世を去ったという。すぐにトンさんの店もなくなり、また姉妹の店もいつの間にかなくなった。カオサンはもうかつてのような混沌とした街ではなくなり、あのガパオの味も俺の中では完全に失われてしまった。

姉妹とトンさんの屋台

ランブトリのこの場所に姉妹とトンさんの屋台があった

おすすめガパオは「クルック・カーウ」

しかし、思いつかない時に食べる料理とも言われるほどのガパオライス。20年近くタイに関わってきて、タイ料理なんか見たくないという日も時々ある。そんな時でもやはりガパオライスはおいしい。

近年はタイ人の間でも、ガパオライス見直しのムーブメントがあるのか、ガパオライス専門店もバンコクで見られるようになった。具材にピータンを入れたり、ライスではなくうどんと炒めたものなど、実にバリエーション豊かになっている。

うどんのバジル炒め載せ

うどんのバジル炒め載せ

ピータンのガパオライス

ピータンのガパオライス。ご飯の上にフライにしたピータンが載っている

その中でおすすめしたい、というか、俺自身が最もおいしいガパオ炒めの食べ方だと思うのは、「クルック・カーウ」である。正確には「パット・ガパオ・クルック・カーウ」で、クルックとは混ぜるという意味になる。

普通はガパオ炒めをフライパンでつくったら、皿に盛ったご飯に載せるが、クルック・カーウはガパオ炒めの最後の行程でご飯もフライパンにぶち込んで、一緒に炒めてしまうというものである。

簡単に言えば「パット・ガパオ・クルック・カーウ」は「ガパオ炒飯」といったところか。オイスターソースなどのガパオ炒め特有の濃いめの味が米に均一に広がるので、最後までおいしく食べることができる。半熟の目玉焼きを載せたらなおマイルドな味わいが楽しめ、素晴らしい逸品になる。

ガパオ炒飯

上品な店だったので色合いが薄いが、ガパオ炒飯の一例

ガパオライスの究極は「ガパオ炒飯」であると、オレは断言したい。

店舗名
業種
エリア
電話番号
HP
  • オフィシャルHP
  • 動画ページへ
  • 体験レポートへ
店舗名
業種
エリア
電話番号
HP
  • オフィシャルHP
  • 動画ページへ
  • 体験レポートへ
店舗名
業種
エリア
電話番号
HP
  • オフィシャルHP
  • 動画ページへ
  • 体験レポートへ
店舗名
業種
エリア
電話番号
HP
  • オフィシャルHP
  • 動画ページへ
  • 体験レポートへ
店舗名
業種
エリア
電話番号
HP
  • オフィシャルHP
  • 動画ページへ
  • 体験レポートへ
名前
年齢
スリーサイズ
名前
年齢
スリーサイズ
名前
年齢
スリーサイズ
名前
年齢
スリーサイズ
名前
年齢
スリーサイズ

この記事の作者

高田胤臣
高田胤臣
1977年東京都出身。98年に初訪タイ後、2002年から在住のライター。移住当初は死体へのタッチに執念を燃やしていたが、現在は心霊ライターになるべく、恐怖スポット探しに躍起。タイ語会話と読み書きも一応可。
ウェブサイト:http://nature-neneam.boo.jp/
ツイッター:https://twitter.com/NatureNENEAM
高田胤臣の記事一覧を見る

関連する記事

この記事につけられたタグ

この記事の作者

高田胤臣
高田胤臣
1977年東京都出身。98年に初訪タイ後、2002年から在住のライター。移住当初は死体へのタッチに執念を燃やしていたが、現在は心霊ライターになるべく、恐怖スポット探しに躍起。タイ語会話と読み書きも一応可。
ウェブサイト:http://nature-neneam.boo.jp/
ツイッター:https://twitter.com/NatureNENEAM
高田胤臣の記事一覧を見る

人気カテゴリー

アクセスランキング

ページTOPへ
ページTOPへ