第29回ウドンタニのバービアで出会った嬢と変態プレイ【タイのいなかはおじさん天国】

タイ東北部イサーンを代表する都市のひとつ、ウドンタニ。なじみの街である。
なぜウドンタニに寄るのか
俺はラオスに行くときにはたいてい、ここを経由する。バンコクからラオス首都ビエンチャンを目指そうと思ったら方法はいくつもあるが、まずバスは遠い。10時間以上もかかりやがるんである。
VIPバスを選べばリクライニングもゆったりしてるし席も広いのではあるが、オッサンになったいまでは10時間もバスに揺られるというのはけっこうきつい。それに道中ヒマである。
そこで飛行機ということになるのだが、ビエンチャン直行便よりも、ウドンタニ経由のほうがだいぶ安いのだ。
まずLCC(格安航空会社)エアアジアかノックエアでバンコクからウドンタニに飛ぶと、予約時期にもよるが片道500~600バーツ(約1700~2000円)。で、空港の到着ロビーにはラオス国境ノンカイ行きのロットゥー(乗り合いバン)のチケット売り場があり、ひんぱんに発着している。
コレが200バーツ(約700円)で国境のイミグレーションまで乗り入れてくれる。あとはオメコ……いやメコン河にかかる橋を越えてラオスに入国し、市バスでビエンチャンまで行く。この方法がいちばん安いのだ。しかもバンコク~ウドンタニ便はほかにもかタイ・ライオンエアやタイ・スマイルエアも飛んでいて、やはり同程度の料金帯だ。4つの会社から時間もいろいろと選べる。
加えて国境線となっているメコン河を越えてラオスに入るという日本では味わえないダイナミズムも堪能できるというわけだ。ウドンタニ空港や国境はカンタンな英語だけでも問題ないので、地方旅ビギナーにもおすすめルートといえよう。
で、この日も俺はビエンチャンでさんざん杯盤狼藉を繰り返し、ラオス娘を陵辱した、その帰路であった。タイに舞い戻ってウドンタニで1泊し、バンコクに凱旋する予定であったのだが、どうにもチンポがうずいて仕方ない。ビエンチャンの怪しい市場の片隅で食ったヤギのキンタマのソテーのせいであろうか。
短パンの前をパンパンに張らせつつ、ウドンタニを徘徊する。イサーンでも大きな街とはいえ高い建物は中心部にあるデパート、セントラルくらいのものだ。
ウドンタニには高い建物も少なくのどかな雰囲気が流れる
腹ごしらえに入ってみれば、若さ弾けるイサーン女子が群れ集い、キャミから胸チラブラチラ、ショーパンからムチムチのモモ、お前ら俺のこと挑発してんのかよと昂ぶる。JKくらいの娘があくびをしながらうーんとか言って両手を上げて伸びをすれば、真っ白いワキが視界に飛び込んでくる。たまらねえ。いますぐ舐めまわしたい。
が、我に帰る。いかんな。このままでは性犯罪に走ってしまう。お前が存在しているだけですでに性的ハラスメントだといわれればその通りで返す言葉もないのだが、いったんセントラルを出てオメコスポットを探しに走ることにする。今日のディナーはワキにしよう。俺は今夜きっと、メコの淫腋に顔面を埋めるのだ。
ウドンタニとは
ウドンタニはけっこう大きな街であるのだが、これといった観光地はない。寺。公園。以上である。郊外に行けば世界最古級の稲作跡ともいわれるバーン・チアン遺跡があり、ユネスコの世界遺産となってはいるのだが、博物館がぽつりとあるのみ。たぶん世界で最もショボイ世界遺産だろう。訪れる人も少ない。
イサーンではちょっと変わったトゥクトゥクがよく走っている
しかし夜の世界はなかなかラインナップが揃っている。まずバービアの類が多いのだ。それもオーナーがアメリカ人という店が目立つ。たいていベトナム上がりの爺さんなんである。
どちらも欧米人経営のバー。こんな店がウドンタニのあちこちにある
あの70年代、戦争で地獄を見た米兵たちは、後方拠点であったタイで休暇を取り、ひとときの安らぎを得たわけだが、このとき彼らを癒したのがタイ娘たちだった。女たちの優しさに触れ、タイの豊かな風土に心和み、大義のない戦争に疑問を持った兵士たちは、除隊すると母国に帰ることなくアジアに留まった。
やがて結婚したタイ娘にバーを持たせて、恩給で暮らす。ウドンタニにはそんな老兵士が多いのだ。というのもウドンタニ空港は、ベトナム戦争当時は米空軍の拠点であり、街には米兵が闊歩していた。出会いが多かったのだ。
そんなバーもなかなか居心地が良い。いまでは戦争を知らない若メコたちが侍り、けっこううまい洋食を出し、昼からアル中と堕してしまった元米兵がクダを巻く。こういうバーだがダメ白人どもは意外にしっかりと教育しているのか、英語のうまいメコもいるのが常なので、タイ語が不安な人でも楽しめる。
地方の歓楽街ではよく象も見る。エサのサトウキビを買ってチップを渡すのだ
それにウドンタニにはソープもいくつかあって、気立てのいい泡姫と白昼の混浴を満喫することもできる。
昔はラオス娘が激安で春を売る置屋が山のようにあったのだが、摘発が続きほとんどは地下に潜ってしまった。店舗を構えないデリ型になったらしい。連絡先をまず知る必要があるので、外国人にはハードルが高い。
ろーくちっ
で、俺が最終的にやってきたのはとあるバービア街であった。体育館くらい大きなオープンエアのフロアにバーがいくつも並び「Udon Day & Night」なんてネオンが輝いている。
おすすめのバービア街「Udon Day & Night」
Dayは閉まっているくせによく言うぜ、と内部を練り歩いてみれば、毎度毎度の嬌声の雨あられ。ウチに寄ってぇ、こっちのほうががいいよぅ、とキャーキャー騒いで腕を引っ張られ抱きついてきて、殿様気分いい気分。
さあてどの娘のワキ汁にしようかと悩んでいると、モロにど真ん中ストライクのロリ娘がいるではないか。立ち止まり、思わずツバを飲みこむ。
セクシーなミニスカ黒ワンピを着ているが、顔立ちはガキである。そのくせむっちりした肉づきがそそる。俺はもうたまらずロリの娘に着席し、喜ぶオカマのママにも速攻でドリンクを奢ってセクハラの許可を得る。
「あんた日本人? かわいがってやってね。このコまだ3日目。ラオス人なの」
なんて言うオカマの肩も抱いて手をさすってやれば「やん」なんて太い声を上げる。
オカマはどこでもノリがいい。ちゃんとセクハラしてやるのが礼儀というのものであろう
もっとホルモン打てや、と思いつつ本丸のロリを品定め、隣に座らせ足の先から顔のウブ毛までじっくりねっとり観察してやる、さぞキモかろう。そう思うとなおさら興奮する。名前を聞けば、
「レックです」
とか弱々しく答える。ビエンチャン郊外から出てきたのだという。18歳という年齢を聞いたとたんに俺は軽く射精した。
ラオスが生んだ逸材レックちゃんだが、メンダー大久保が全身を隅から隅まで舐めまわさせていただいた
もちろんそれだけでは収まりがつかないので、密着して手をつなぎ、二の腕を揉み、うなじをさすり、いちいち「なーらっく、な(カワユイね)」と耳元でキモく囁き、太モモを撫でてみれば、予想以上の弾力とスベスベ感。つるんつるんのモッチモチなんである。ウブで変態外国人にも慣れていない18歳は、両足の間に手を差し入れて奥地の湿地帯に潜入してもモジモジするばかり。
嗜虐心を刺激された俺はオカマにペイバー代600バーツと飲み代を握らせると、レックをホテルに連れ込んだ。
まずは今日ずっと頭にこびりついて離れなかった念願のワキであろう。シャワーも浴びさせずにベッドに押し倒してバンザイポーズを決めさせ、俺にとってはもはや性器に等しいワキにべろんべろんと舌を這わせる。
一日の労働で湿ったワキは甘く酸っぱく、ツンとくる刺激臭がさらに食欲をそそり、鼻先もこすりつけ、愛おしく頬ずりする、ドン引きして声も出ないレックの唇を、ワキ汁と俺のヨダレでベトベトになった口でふさいでやれば、意外にも舌で応じる。18歳だが変質者の素養があるかもしれない。
とにかく若い肉を存分に味わいたかった今夜、俺はレックの全身を舐めに舐めた。足の裏から背中からアナルから、手の指の一本一本まで、唾液で穢し、つややかな黒髪を食い、鎖骨を噛み、奥歯まで舌を突っ込んだ。
アブノーマルなプレイをあまり好まない東南アジアの女どもではある。しかし中年の粘着的かつ執拗な舌技にレックもやがて息を弾ませ、やはり俺の全身を舐めはじめる。シックスナインの体勢で、チンポのみならず足を舐め腹を舐め腰骨にチロチロと舌を這わせて、いつしかふたりはシンクロして互いをまさに貪った。
事後……。
「おじさん、ろーくちっ(ヘンタイ)」
目を潤ませて18歳はシーツにくるまった。かわいいやつだ。そのままレックは身体を寄せてきた。小さな頭を抱きしめる。明日は早朝クンニで起こしてやろう。俺はそう思いながら眠りについた。
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