【日本の風俗街】船橋〜宿場町から風俗街、デリヘルの町〜<<千葉県船橋市>>

「船橋(ふなばし)」は、JR総武線船橋駅前に広がる街。千葉県内屈指の歓楽街として知られ、多数の飲食店や風俗店が営業している。
本家「船橋」をご紹介します
以前ご紹介いたしました西船橋は、北口に箱ヘルやピンサロが建ち並び、関東における人妻デリヘルの発祥地として知られている、と言うお話をいたしました。
今回ご紹介するのは本家本元の「船橋」。
かつて、公営ギャンブルの全て(オートレースは2016に廃止)が揃っていたこの街は、宿場町の遊女に由来する、由緒正しい?風俗街なんです。
<場所>
千葉県船橋市本町4丁目付近
<アクセス >
JR総武本線船橋駅、京成本線船橋駅下車、徒歩圏内
船橋のピンクゾーンの由来
■宿場町の飯盛女
船橋と言う場所の地名自体は大変に古く、
ヤマトタケルの東征の際に川を渡るために船で橋を作ったの事に由来するとか。
その後は、海老川河口に港が設けられたり、市場がたったりはするのですが、脚光を浴びはじめたのは江戸時代。
江戸を中心に各地への街道が整備されると、船橋は成田山詣にも使われた佐倉街道、東金方面への上総道が集中する宿場として発展。
問屋場が設置された九日市村と呼ばれた集落には旅籠の営業が認められ、最盛期には30軒もの旅籠屋が軒を連ねたと言う事です。
その旅籠屋には当然のように飯盛女(ご飯給仕と夜のお世話をする)が居ました。
ちなみに、彼女達は街道沿いで声を掛けていたらしく、ついたあだ名は「八兵衛」。
その言葉尻に「〜しべえ」と方言が入っていて、それを繰り返し言っていたかららしく「四べぇ、四べぇ」で4+4で8。
伝聞ではありますが、それ程賑わっていた、と言うことでしょう。
■遊廓〜風俗街
これらの旅籠屋は、明治維新を迎えるとそのまま遊郭として残りました。
この遊廓は街道沿いが寂れた後も、習志野の軍人を主な客として存続していましたが、やがて集約されて街の外れに移転し、船橋新地と呼ばれるように。
この新地は第二次世界大戦後に赤線地帯へと移行します。
売春防止法施行前は約70店舗もの店が営業していたようですが、やがてそれらも廃止、転業し、ソープランド街として今に残っているのであります。
船橋で抜くとしたらこんな感じ
筆者調べで恐縮ですが..
・ソープランド :1店舗
以前は複数店ありましたが、現時点で船橋市内に唯一あるのが『ソープランドミネ』さん。
50分15000円、80分20000円とリーズナブルですが、お相手の年齢層は高めとか。
でも、名称からして昭和を感じさせるピンク店、嫌いじゃ無いです。(いやむしろ好き)
・箱ヘル :恐らく..4店舗
イメヘルや痴漢専門店など、特徴あるお店です。その他、ホテヘルも数店舗あります。
・ピンサロ :5店舗
最安で20分4,000円〜となかなかにリーズナブル。但し、店舗によっては手コキコースもあるとか..で、要確認です。
・デリヘル :150店舗以上
調べてみたんですが、数が多すぎて解析を諦めました。周辺の千葉や松戸なんかも入れた広い地域で、「大デリヘル派遣可能ゾーン」を形成している模様です。
特徴はと言いますと人妻派遣店が充実していて、競争の結果レベルが高くなっている、と言ったところでしょうか。
人妻は地元以外の街で働きたがる、の法則が効いているのかも?知れません。
その他)
今回取り上げました船橋は、日本の出会い系サービス史に残る歴史を持つ街です。
オークション形式で高値をつけた男性が女性との交渉権を得るサービス「セリクラ」が初めて営業開始した場所。
いやー、一度行ってみたかったです。
、ともう閉店したものだと思っていたら、実はまだ健在。船橋のみならず、小岩、上野、立川、町田にあるようです。
今度行ってみたいと思います。
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