第24回 サンパウロ今昔物語(4) 【嵐よういち・海外裏ロード】
夜の東洋人街「リベルダージ」

閉館の噂も実は営業していた

ブラジル・サンパウロの「ペンション荒木」を最後に訪れたのは2011年のことだ。この時期の荒木は宿泊費が高いのに設備が悪いと評判が悪く、客はアパート代わりに使っている日本人や日系人と、リタイアしたオヤジばかりで雰囲気は最悪だった。その後、ブラジル経済は成長し、土地価格や家賃、人件費も上がり、どんどんインフレ状態になってしまった。

オーナー夫妻が他界した後、義理の娘であるホーザさんが後を継いでいた。

俺らの仲間がかつて宿泊していた新新館は、建物の老朽化で閉鎖し、新館も場所を移し、その新館も閉鎖して本館だけ残る形になったが、実質的に住んでいる人ばかりになり、昔のような旅行者が泊まれるスペースがほとんどなくなった。

家賃も上がり、大丈夫かな? と心配していたらサンパウロ在住の知り合いから「荒木が閉館したようだ」と報告があった。友人は荒木に電話をかけてみたがつながらないそうである。

非常に残念……と思っていたが、その後、サンパウロに行った友人が確認すると、旧新館を使って営業は続けられていたそうだ。ホーザさんは「日本人はつぶれたと思っているみたい」と話していた。

ホーザさんによると、宿代を踏み倒す旅行者が多くなっていたという。日本人は以前、そんなことを一切しなかったのだが……。「日本人は信用できる」と当たり前のように思われていたが、それも崩壊したようで残念である。一部のバカな旅行者のせいで、日本人の信頼がなくなるのは耐えられないものである。

その後、安くて良い宿が雨後の筍(たけのこ)のようにサンパウロに増えていった。旅行者は自然と荒木から遠のき、閉鎖してしまったようだ。このような名物宿がなくなったのは非常に残念だが、場所が良いだけに地価が上がり、家賃や人件費が高騰、建物も老朽化し、採算が取れなくなったのは時代の波なのであろう。いい時代を荒木で過ごせたことは非常に幸せだった。

荒木をめぐる5人の死

俺は1997年から2014年まで、荒木の17年間の歴史を知っているが、その間、4人の死があった。

「おじちゃん」は、オーナーである「おばちゃん」の旦那だった。再婚だったそうだ。無愛想だが優しかった。亡くなる2か月前から様子がおかしいとは思っていたが、歩く速度が極端に遅くなり、新新館の掃除も以前までは毎日していたのに、3日に1回になっていた。

ある日、俺は仲間を引き連れて、夜遊びに出かけようとしていた。その前に本館に行って仲間の今井さんを呼びにいかないといけない。本館の鍵を開けて中に入ろうとすると、何かが引っかかっていて開けることができない。おかしいと思って何回も押しているとやっと開いた。

うん? 俺の目の前でおじちゃんが倒れているではないか。その横でおばちゃんが必死の形相で起こそうとしているが、持ち上がらない。俺は仲間とともにおじちゃんを起こしてベッドまで運んだ。今井さんも出てきて心配するが、おじちゃんは言う。

「心配するな。病院に行く必要はないよ。さあ早く遊びに行きな」

そんなこと言っても心配である。だが、おばちゃんが「遊びに行っても大丈夫よ。ありがとね」と言ってくれたので出かけた。

翌日からおじちゃんは寝ていたが、病院に行くほどではなさそうだった。3日後、新新館を出ると、本館に住んでいる30代のA君とばったり会った。

「おじちゃん、この前、倒れたけど大丈夫かな?」

声をかけると、A君は泣きそうな顔でこう答えた。

「実は……おじちゃん、今朝容態が急に悪くなって、病院に担ぎ込まれたんだ。担ぎ込まれた時にはもう、心臓が止まっていた」

それを聞いて、とにかくショックで、それからどんな行動を取ったのか覚えていない。

2人目はおばちゃん

荒木の名物おばちゃんは、おじちゃんが亡くなってからめっきり弱っていた。明るく、濃いキャラクターだったのに、時おり沈むような暗い表情も見せる。1人で経営していくのも大変になり、義理の娘であるホーザさんが宿の経営をサポートするようになった。

この時期、俺は頻繁に荒木に泊まっていたが、おばちゃんは、どんどんボケて衰弱してきていた。ホーザさんは宿の経営とおばちゃんの面倒で大変だった。介護経験のある人や、病人の世話をした人には大変さが分かるだろう。

帰国する日が来た。既に分かっていた。もうおばちゃんとは2度と会えないと。

帰り際、おばちゃんが言った。

「また、絶対に遊びに来てよ。元気でね」

「おばちゃんも、体をお大事にね。また絶対来ます。さようなら」

俺がタクシーに乗り込むと、窓際までやって来てしっかりと握手をした。タクシーが出発し、後ろを振り返ると、おばちゃんは、まだ手を振ってくれていた。

その数か月後、サンパウロに住む友人から、おばちゃんが亡くなったという訃報が届いた。

おばちゃんの口癖が忘れられない。

「あのね~、サンパウロでは日本人が一番偉いんだよ。夜遊びをしっかりやって日本人の偉大さを知らしめなさい!」

3人目はじいさん

本館2階にあるドミトリー部屋。当時、2段ベッドが3台あり、狭苦しい部屋があった。じいさんは、その部屋のロッカーの裏に住んでいた。

97年に初めてその部屋に泊まり、荷物をほどいていると、幽霊のようにロッカーの後ろから出てきて驚いたものだ。旅行者のブログなどでも、この部屋に泊まった旅人が「うわ~、いきなり壁の向こうからじいさんが出てきた」といった記事を書いていて、誰でも最初は驚くらしい。じいさんから、東洋人街「リベルダージ」のことなどを聞いて、いろいろと親切にしてもらった。

夜の東洋人街「リベルダージ」

夜の東洋人街「リベルダージ」

当時、じいさんは毎朝5時くらいになると、何の運動をしているのか分からないが「ギ~コ、ギ~コ」と変な音を出し、睡眠を妨げられ、何度か注意したことがある。その後、サンパウロに行くたびに、簡単なあいさつをしたり、世間話などをするようになった。

じいさんは日系1世で、どういう理由があるか分からないが、あんな部屋に住み、毎朝早く起き、バスに乗って国際空港まで行って、旅行関係の仕事をしていた。

じいさんはもう日本に帰る気はなく、ブラジルで死にたがっていた。俺が帰国して1年後、兄貴分のシュウさんが荒木に行くとじいさんがいたのだが、様子がおかしかったようだ。街中でじいさんを見かけたが、亀が歩くような速度で、かなりヨボヨボと歩いていた。以前なら背筋を伸ばしてしっかり歩いていたはずだ。

また、シュウさんがサロンで休んでいると、じいさんがやってきた。すると、大便を漏らしているような匂いがした。シュウさんは「じいさんももう永くないな」と感じたそうだ。

その数か月後、姿を見せないじいさんを心配したホーザさんが、じいさんのベッドを見に行くと、既に冷たくなっていた。老衰だった。身寄りがまったくないじいさんは、ホーザさんを中心に宿の住人らが弔ったらしい。

合掌。(つづく)

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嵐 よういち
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旅行作家、旅行ジャーナリストをやっています。
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