第34回 ビザ免除開始のミャンマーを訪問【嵐よういち・海外裏ロード】
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初訪問は軍政時代の98年

俺が初めてミャンマーの最大都市ヤンゴンを訪れたのは20年前、軍事政権時代の1998年7月だった。

タイの首都バンコクに一緒に遊びに行った先輩に「せっかくだからミャンマーにも行こうぜ」と誘われたのだ。俺はミャンマーの歴史などは知っていたが、さして興味があるわけではなかった。滞在は5日間だけということなので簡単な気持ちでOKと返事していた。この時はバンコクの旅行代理店でミャンマーの査証(ビザ)を取ってもらい、ヤンゴンに行った。

ヤンゴン国際空港に着いて驚いた。当時は強制両替があり、空港で2万円か200米ドル(約2万3000円)を旅行者にしか使えない兌換券に代えないといけないルールがあった。兌換券はホテルなどで使えるし、現地通貨や米ドルに再両替できるらしいが、なんでこんな変な制度があるのかと思ったものだ。まだ旅行者は少なく、俺らは空港タクシーで街のホテルまで行くことになった。

ミャンマー人は皆、親切で笑顔が絶えない人たちで好きになった。ホテルはまだ決めておらず、タクシーで最初に着いたのは1泊10米ドルの宿で、そこには日本人が1人いた。簡単なあいさつをして部屋を見せてもらったが、湿度が尋常ではなく、カビ臭く、熱帯雨林に来たかのような最悪の部屋しかなかったので、断って、大きなホテルに泊まることにした。

そこは1泊20米ドルで朝食はなかったが、平均的な観光ホテルだった。だが、風呂場の蛇口をひねって、ひとっ風呂浴びようと思ったら茶色い水が出てきた。最悪である。この場所が現在どこかは分からないが、ヤンゴンに数年間住んでいた友人によると、新市街が最近になって拡大したので、当時、観光客が集中していたダウンタウンではないかという。

俺らは現地通貨がなかったので100米ドル分を両替したが、とんでもない札束になって返ってきた。財布には入り切れない。買い物をする際はポケットから大量の札束を出して地元の人が凝視する前で支払いをしなければならなかった。腹が減ったのでレストランに入るものの、注文した野菜炒めのような料理が、ひどいアンモニア臭がして食べられなかった記憶がある。おそらく料理用の水をためたタンクの衛生状態が最悪のため、「発酵」してそのようになってしまったのだと思う。

当時は女遊び不可

俺と先輩は女遊びをしようと思った。当時のバンコクは今と比べ物にならないくらい、夜遊びが楽しく、タイの隣国ならそれなりにあるだろうと思って調査するが、どこにもない。聞き込みしてもダメで、日本人のオヤジが道を歩いていたので、「どこか女遊びをできるところ、知りませんかね?」と尋ねるものの、「ここにはないんじゃない。聞いたこともないし、ポン引きもいないね。バンコクで遊びなよ」との答えが返ってきた。

帰りのフライトでヤンゴン空港に行ったが、1日に数便しかなくて、ガラガラだった。俺らが珍しいのか空港スタッフがニコニコしながら話しかけてきたのが印象深かった。もうこの国には二度と来ることはないと20代の俺は思ったものだ。

再訪を決意

その後、15年間くらいミャンマーには興味がなかったのだが、5年前にヤンゴンの大学に留学していた映像カメラマンの岸田さんと知り合い、ミャンマーの話を聞きまくった。変貌が激しく、再訪したら驚くに違いないと言われた。その話には興味がわき、いつかタイミングが合えばと思っていた。さらに、本サイトを編集する新羽七助氏もミャンマーに仕事で何回も行っており、彼からも話を聞いたほか、キャメルという男が今年4月、ヤンゴンに赴任したのをきっかけに今回の旅の終わりに寄ろうと決心した。

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ブラックロード・ヤンゴン支部長のキャメル

日本人はビザ免除

まずミャンマーに行くにはビザが必要だ。東京のミャンマー大使館に行くのは面倒なので、バンコクで取得しようかと思案している時に新羽さんに相談すると、どうやらE(電子)ビザというのがあり、インターネットで簡単に取れるらしい。値段は50米ドル。少し高いな……。

今年6月に、こんな情報が入ってきた。

「日本人観光客はミャンマー入国の際、ビザが免除される」

10月からミャンマーはビザ免除になるかもしれないという情報が入ってきたが、それが具体的にどのようなものか、錯綜していて分からなかった。ミャンマーに詳しい人や、ヤンゴン在住のキャメル、それに新羽さんから聞きまくるが、とにかくまだはっきりしていないし、ミャンマー政府の言うことはコロコロ変わるし、まだ信頼できないという。

7月後半にバンコクとヤンゴンの往復チケットを取ったが、落ち着かなかった。9月初めから旅に出かけるので、もしビザがいるのなら、日本にいる間に取らないといけない。が、情報はまだはっきりしない。

8月初めごろにはビザ免除になると騒がれ始めたが、その条件が入国時に1000米ドルの見せ金が必要というわけ分からないことも書かれていた。そして8月終わりには、10月1日から日本人と韓国人はビザなしで入国カードも必要ないし、見せ金の1000米ドルも必要ないということに決定した。

ノービザで入国成功!

今年10月12日、俺はバンコクからヤンゴンに向かったが、一抹の不安があった。実際にノービザで行った人を知らないし、ツイッターなどでもノービザで入国した情報が全然なかったからだ。だが、バンコクでチェックインする際、何も言われなかったので、大丈夫だろうと楽観視した。

飛行機内では入国カードが配られた。俺の後方に幼子を連れた若い日本人夫婦がいて、彼らはカードをもらっていなかった。要らないとは聞いていたが、一応記入する。

空港に着いて驚いた。近代的できれいになっていたのだ。あんなにボロボロでガラガラだったのに……。入国審査では、白人が何かの手続きがあるらしく、並んでいなかったのですぐに俺の番になった。なんだか少しドキドキする。俺は旅券(パスポート)に入国カードを挟んで女性係官に渡す。係官が「ビザを持っているか?」と尋ねてきた。

なんでそんな質問をしてくるのだ。おい、どうなっているんだよ。まさか……。

「いえ、持っていません」と俺は答える。係官は何も言わずに手続きをしている。まさか別室に連れていかれることはないだろうなと、要らぬ心配をしてしまう。係官は無表情で入国カードと一緒にパスポートを返してくれた。やはり入国カードは要らないようだ。

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16年に新国際線ターミナルが開業したヤンゴン国際空港

ヤンゴンの経済発展を実感

空港からのタクシーはヤンゴン中心部に向かう。俺は驚いた。20年前から変わったというよりも、もはやまったく違う街にいる感覚がするのだ。「ロッテホテルヤンゴン」など大きな外資系ホテルやショッピングモールがある。ヤンゴンにショッピングモールがオープンしたとは聞いていたが、2か所くらいかと思ったらとんでもない。いくつもあるのだ。庶民的なものから高級モールまである。モール内には日本料理店なども入居し、中国や韓国、世界中の商品であふれている。

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高級ショッピングモールの開業には驚いた

自動車がやたらと多いのも気になった。昔は少ししか走っていなくて、交通渋滞など考えられなかった。都市に人口が集中して道路が整備されていないところに車が増え、渋滞と路上駐車が問題になっているという。その対策として、輸入中古車に関税などが課され、価格が高騰しているという。

20年前、ヤンゴンはそれほど大きいイメージはなかったが、その後、新市街が開発され、街はどんどんと拡大したようだ。(つづく)

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ヤンゴンの交通渋滞は深刻

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開発がすさまじいヤンゴンの街

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嵐 よういち
嵐 よういち
旅行作家、旅行ジャーナリストをやっています。
代表作は、海外ブラックロード・シリーズ。
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