【エロ偉人伝】中山靖王・劉勝~三国志ファンなら誰もが知っている有名人は、酒好き・女好きの遊び人!

タイトルの人物名にピンときたアナタは三国志好き待ったなし。
そうです、劉備玄徳が「我は子孫なり!」と言いふらしていたアノ人物です。
ときは紀元前の中国“漢王朝”の時代。
劉勝は当時の皇族の一人で、現在の河北省にあたる「中山」という地域を治めていたことから“中山靖王(ちゅうざん・せいおう)”と呼ばれています。
ちなみに当時の中国におけるトップは皇帝。王は各地域を統治する人、都知事とか県知事みたいな役割です。
日本でも愛読者が多い『三国志』(三国志演義)の主人公的存在である劉備玄徳(161~223年)は、この劉勝の子孫とされています(というか自称していた)。
このエピソードは、三国志をベースにした作品の多くに登場するので、三国志好きなら誰もが知っている有名人といえるでしょう。
では、いったいどんな人物だったのか?
調べてみると、これがかなりの性欲モンスターだったのです。
紀元前154年に中山王の座に就いた劉勝。
しかし生来の酒好きで女好き。王様になったからといってその性癖が変えられるはずもなく、毎晩へべれけになってヤリまくり。
結果、生まれた子供の数は120人以上!
のちに劉勝のことを記した歴史書にも「為人楽酒好内、有子百二十余人」(生まれつきの酒好き女好き、子供の数は120人以上)と、しっかり書かれちゃっています。
しかも、当時は男子のみを出生記録に残す、という風潮があったとか。
そのため、女の子も含めたら子供の数は200人を超えていた……という説も。
一人一人の顔と名前、ぜったい覚えてないでしょう。
そもそも劉勝は楽しいことが大好き。
あるとき実兄から「お前は遊んでばかりだ。民のためにしっかり国を治めろ。そんなんで皇帝陛下の力になれるのか」と説教されます。
それに対する劉勝の回答は……。
「兄上こそ真面目すぎる。政治は役人の仕事。王たるもの、もっと優雅にふるまって道楽を楽しむべきだ」
ああ、たしかに一理ある……いやいや、無い無い!
もしも知事が毎日遊びまくりだったら、たまったもんじゃありません!
そんな劉勝だから、一般庶民の間でも“遊び人の王”として有名だったのです。
さて、劉勝の大勢の子どもたちの中に
劉貞(りゅうてい)という人物がいます。
彼も一度は爵位を与えられますが、のちに王朝への上納金滞納で地位を剥奪され、一族の家系図記録からも外されました。
前述の劉備玄徳が名乗ったのは、この劉貞の子孫。
劉貞が死んでから300年近く経っているし、一族の家系図にも載ってないから、本当かどうかなんて調べようがありません。
“劉備が皇族の子孫というのは眉唾説”が根強いのも当然といえるかも。
しかし、漫画や映画などの『三国志』における劉備は、聖人君子のような立派な人物として描かれることが多いのですが、本当は女好き、遊び好き、親分肌の任侠タイプだった……とも云われています。
そして劉勝の先祖で漢王朝の初代皇帝にあたる劉邦も同タイプ。もしかしたら、劉備は本当に一族の末裔だったのかもしれません。
本日のエロ偉人
名前:劉勝(?年~紀元前113年)
性別:男
国籍:中国
日課:王の遊び
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(文:喜助)
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