タイ移住が決定【新羽七助のゴーゴーバージャーナリストへの軌跡 第7回】
ナナプラザ

2週間のバンコク滞在中、プイについて改めて考えをめぐらせてみた。

私は冷めてしまったが、プイの方ははたしてどうだったのだろうか。お金を受け取らずに、ディスコやデパート、レストランなどに案内してくれた。
当時はLINEもなかったため、高い通話料を支払い、タイから私の英国の携帯電話に国際電話をかけてきてくれたこともあった。

飴をぶら下げて、私のことをハメようとしているんじゃないかと疑ったりもしたが、けっきょくのところ、私のことを純粋に気に入ったのではないかという結論に達した。束縛こそあれ、嫌なことは何一つされていないので、振り返ってみると感謝しか思い浮かばなかった。

プイのことがあって、「レインボー2」には行きにくくなっていたが、レインボー1や4、ナナプラザ1階中央部のバービア群には連夜顔を出していた。

ナナプラザ

新羽七助撮影

プイの友だちのレインボー嬢からは、「もう付き合っていないのか」としつこく聞かれたり、バービアのママさんからは「あんな猿みたいなコ、どこがいいんだ」と冷やかされたりもした。

プイの顔見知りらの間で、われわれが付き合っていると認識されていたことも驚きだったが、いずれにしてもタイのゴーゴー業界にうごめく嫉妬を早くも目の当たりにした。

バンコクで記者になりたい

ナナプラザだけでなく、ソイ・カウボーイやタニヤ、パッポンにも積極的に足を運び、各歓楽街で計数人をペイバー(連れ出し)してみたが、プイに代わる新しいお気に入りはなかなか見つからなかった。

バンコクには知人が一人もいなかったので、オキニがいないと、昼間は特にやることがない。
そんな状況の中、暇つぶしになればと購入した日本語週刊紙「バンコク週報」と同系列(当時)のエンターテインメント誌「Gダイアリー」は、タイについてほとんど何も分かっていない自分にとっては有意義だった。

ジーダイ

新羽七助提供

2006年9月当時、タイではタクシン首相(当時)に対する国軍の軍事クーデター(死傷者が出ていないため、無血クーデターとも呼ばれる)が発生したり、ドンムアン国際空港に代わる新たな空の玄関口「スワンナプーム国際空港」が全面開港したりと、重要ニュースが頻発。バン週を通じ、タクシンの功罪や、新空港を建設した背景などを理解することができた。

一方のGダイには、タイを中心とする東南アジア諸国をめぐる旅行記事などのほか、バンコクのゴーゴーバーに関するコラムもあった。そのコラムには、「レインボーの何番が大人気」といった情報が記載されていて、実際はどんなものかと番号を確認しに行ったりもした。

高校時代、担任との進路相談で、「将来は記者になりたいです」と答えていたことをふと思い出した。バンコクで記者として働き、夜はゴーゴーで飲む生活を送れたら、どんなに楽しいだろう……胸がわくわくした。

いつ移住するか? 今でしょ!

2週間に及ぶバンコク旅行で、夜遊びは停滞したものの、タイ移住計画を具体化させ、ロンドンに戻った。

英国の学生ビザ(査証)の期限も迫っており、そろそろ進路を決めなければならなかった。テレビ局の国際部で働いていた父親は英国人の知人を頼り、同国での仕事を紹介してくれたが、勘当される覚悟で断った。
父はエリートでプライドも非常に高く、息子にとっては目の上のたんこぶになっていた。社会人になってからも関与されるのは勘弁してほしかった。

バンコク週報が公式ウェブサイトを通じ、人材を募集していたので、思い切って応募してみると、面接の案内が届いた。06年11月、バンコクに再び渡航して面接を受け、「記者」として合格。
プミポン国王陛下(当時)の誕生日12月5日がタイの祝日で、祝日明けの6日から出社することが決まった。

就職が決まってからの生活は急激に慌ただしくなった。ロンドンにある荷物を整理するため、家電はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて留学生らに売り、書籍や衣服などは日本の実家に送った。

自分も日本に帰国し、1週間ほどで準備を完了。
12月初めには、成田空港からタイ国際航空を利用し、開港して間もないピカピカのスワンナプーム空港に降り立った。新羽のタイ移住がスタートした瞬間だった。

スワンナプーム空港

タイ移住をめぐっては、複数の知人から「自分もタイに移住したい」と相談を受けたが、実現させた人はほとんどいない。日本の家族や仕事、不動産など「タイに移住できない理由」はいくらでもあり、慎重に検討した挙句、最終的にはそれらを優先させ、移住を諦めてしまう人が大半だからである。

ノーリスクノーリターン。日本あるいは第三国で築き上げてきた何かを捨てなければ、タイで新しい何かを得ることはできない。実際に移住している人は決断も迅速。
本気で考えている人には僭越ながら、「いつ移住するか? 今でしょ!」とアドバイスしたい。(続く)

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新羽七助 (しんは・ななすけ)
新羽七助 (しんは・ななすけ)
バンコク居住歴約11年の編集記者。唯一無二のゴーゴーバージャーナリストとして長年活動。
ナナプラザのレインボーグループを中心に、ゴーゴー突入回数は2000回超。パタヤも訪問。東南アジア諸国連合(ASEAN)10か国制覇。アフリカにも進出。
野球はベイスターズファン。

ブログ「新虹日報」      http://shinhananasuke.blog.fc2.com/

Twitter     https://twitter.com/gbanalyst

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バンコク居住歴約11年の編集記者。唯一無二のゴーゴーバージャーナリストとして長年活動。
ナナプラザのレインボーグループを中心に、ゴーゴー突入回数は2000回超。パタヤも訪問。東南アジア諸国連合(ASEAN)10か国制覇。アフリカにも進出。
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